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[御殿場ロケ作品]

富士に立つ影

映画 1942年(昭和17年)12月 公開


富士に立つ影・阪東妻三郎

原作:白井喬二
脚色:八尋不二
演出:池田富保、白井戦太郎
主演:阪東妻三郎

背景に富士山[長尾峠付近か?]
富士に立つ影・富士山

背景に愛鷹山[御殿場市板妻~神場付近か?]
富士に立つ影・馬の疾走

背景に愛鷹山[御殿場市板妻~神場付近か?]
富士に立つ影・道を駆ける馬

背景に金時山[御殿場市板妻~神場付近か?]
富士に立つ影・金時山

エキストラとして地元住民が200人以上、農耕馬が10頭以上参加しているようです[御殿場市板妻~神場付近か?]
富士に立つ影・エキストラ

【ストーリー】
異国の脅威が増すなか、第十一代将軍・徳川家斉は国防充実のため、富士の裾野に歩兵の調練城(訓練のための城)を設置することを決める。
命を受けた沼津藩は、名のある築城家二人を呼び寄せ、問答を戦わせ(今風に言えばプレゼンテーションをおこない)勝者を築城軍師に就けることとした。

問答場(プレゼン会場)で対峙するのは、江戸の賛四流・佐藤菊太郎(阪東妻三郎)と小田原の赤針流・熊木伯典(永田靖)。
熊木伯典は、彼の矢面に立ち命を落とした者が幾人もいると言われる策略家である。

二人は問答や実地でその実力を競いあうが、熊木伯典は策をめぐらし、佐藤菊太郎を陥れようとする……。

【作品と御殿場】
「御殿場」あるいは古い地名である「御厨みくりや」という言葉は出てきませんが、実際にこの映画で写っている「富士の裾野」は、まさに現在の御殿場市です。(裾野市にあたる地域は「佐野」という地名で呼ばれます)

御殿場市民にとっては見慣れた、左中腹に宝永火口を見せる富士山が、何度もスクリーンに登場します。
オープニングのタイトルバックにはじまり、大きな見せ場となる馬の競走シーン、エンディングなど要所要所で映ります。

撮影所で撮影された屋内シーンや、静岡県内(富士宮)・東京・神奈川(箱根)・山梨と思われるシーンもあり、御殿場ロケによるシーン(時間)は20パーセント前後ですが、雄大な富士山や馬が疾走する場面など重要なシーンは御殿場で撮影されており、実感としてはまさに「御殿場が舞台となった映画」です。

阪東妻三郎:佐藤菊太郎……築城軍師決定の問答に臨む主人公
 1901年(明治34年)12月14日~
 1953年(昭和28年)7月7日 51歳没 [撮影時40歳前後]
阪東妻三郎
当時を代表する二枚目時代劇スター。阪妻バンツマの愛称で呼ばれた。俳優の田村高廣・正和・亮 各氏の父親。
初期は剣戟けんげき、いわゆるチャンバラに革新的な殺陣を取り入れ一世を風靡。演技の評価も高く、本作では緊迫感ある問答の応酬シーンが見どころのひとつです。

永田 靖:熊木伯典……築城家。策をめぐらし菊太郎を陥れる
 1907年(明治40年)10月11日~
 1972年(昭和47年)9月12日 64歳没 [撮影時34歳前後]
永田靖

比良多恵子:おそめ……菊太郎の恩師の娘。お嬢様
 1919年(大正8年)2月28日~? [撮影時22歳前後]
比良多恵子

橘 公子:お雪……菊太郎を敬愛する名主の娘
 1921年(大正10)10月10日~ 97歳健在 [撮影時20歳前後]
橘 公子

【現在の視点から】
イケメン人気俳優が主演し、見るからに悪辣な敵役、美貌のお姫様(この作品では殿様ではなく築城家=武士の娘なので正しくはお嬢様)、快活な村娘(名主の娘)といった時代劇には欠かせない役どころがそろっています。

さらに、スクリーンの中を馬が全速力で駆け抜け、エキストラの群衆が声をあげ、背後には白い雪をまとった富士山がそびえる。そろえることができるものは全部そろえました、と言わんばかりの作りです。

映画が娯楽の主役だった時代。手間をかけるべきところに手間をかけて作った映画です。
また、そういった撮影が可能なロケーションが、まだ存在していた時代だったと言えるでしょう。

御殿場の屋外シーンでは建造物がほとんど映りこんでいませんが、現在ではそういった撮影は困難です。失われた景観です。
富士の裾野は広大な大野原であり(だからこそ馬が走り回るような時代劇のロケが可能だった)、民家はあってもわずかで、校舎や陸軍廠舎など比較的大きな建物も木造で遠方からはほとんど目立たない時代でした。

「本物の時代劇」がここにある、「御殿場の原風景」がここにある、と感じさせる映画です。


原作と映像作品について

原作は白井喬二の小説「富士に立つ影」です。
白井喬二は一般には忘れられた小説家になってしまいましたが、大ベストセラー作家です。
※1889年(明治22年)9月1日~1980年(昭和55年)11月9日 91歳没

「富士に立つ影」は1924年(大正13年)7月から1927年(昭和2年)7月にかけて報知新聞に1000回以上にわたって連載された長編時代小説です。雑誌などの当時のマスコミがこの小説を「大衆文芸」と呼んだことがきっかけで、「大衆文学」「大衆小説」といった言葉が一般化したと言われています。

第1巻「裾野編」から第10巻「明治編」までにまとめられ、300万部を超える大ベストセラーになりました。各社から何度も出版されたため古書も多数出まわっていますが、新刊で入手しやすいのは1998年~1999年刊行の、ちくま文庫全10巻です。

映画やTVドラマなど映像化が4回以上されており、長編すべての映像化は困難なため、主に「裾野編」を翻案して制作されているようです。なお原作(小説)の「裾野編」の舞台設定は愛鷹山あしたかやまのふもとになっており現在の沼津市です。

このページで紹介した大映制作「富士に立つ影」は1942年(昭和17年)12月公開であり、雪をかぶった富士山が映っていることから判断すると、御殿場ロケは前年1941年末(真珠湾攻撃が12月8日)から1942年初頭の間におこなわれた可能性が高そうです。

1926年(大正15年)公開の東亜キネマ制作「富士に立つ影」も御殿場ロケがおこなわれた可能性があり、大正時代の御殿場の姿を目にすることができそうですが、フィルムや映像を入手できず詳細は未確認です。無声映画であると思われますが、トーキー登場によって無声映画は軽視されほとんどのフィルムは散逸してしまったため残っていないかもしれません。

【関連ワード】
戦中の映画,時代劇,IP by GFN
(ページ公開:2018/01/04 最終更新:2019/01/03 text by KTK)
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